韓国の学校において本格的にIT教育がはじまったのは、金大中大統領の時代です。1997年、金大中氏は、「私が大統領になったら、韓国国民を世界で最もインターネットをうまく使いこなすことができる国民にする」という公約を掲げました。そして大統領に就任すると、すぐに情報教育のためのインフラ整備に着手しました。金氏はまず、小学校・中学校・高校のすべての教室にインターネット回線を引き、また全国の学校内に約1万3000室におよぶマルチメディア室(コンピュータ実験室)を設置しました。
もちろん、インフラの整備だけでは片手落ちですので、整備したインフラを活用して質の高い情報教育を提供しなければなりません。そのためには、実際に指導・教育を行う教員たちのITスキルを向上させる必要があります。そこで韓国政府は、全教員にパソコンを1台ずつ支給し、さらには全教員の33%にあたる約13万人の教員に対して、毎年ITに関する再教育を施すようになりました。なぜなら、ITの世界は日進月歩で進化しており、身につけた知識やスキルがすぐに陳腐化してしまうからです。また、現場で子供たちを指導する教員だけでなく、校長や教頭など学校の管理部門に対するIT教育なども実施しています。
このような取り組みを続けてきた結果、2007年現在までに、韓国の学校におけるITインフラの普及は、5〜6人の生徒に対して1台のパソコンが付与されるほどにまで進んでおり、また97.6%の学校に通信速度2MB以上のインターネット回線が引かれるようになっています。
こうした環境のもと、韓国の情報教育で何が最も重視されているかというと、それは、「インターネットを使いこなして、情報検索や情報収集をする技術を子供たちに身につけさせること」です。プログラミング等のスキルも必要とはされていますが、最重要視されているわけではありません。それよりも、情報技術をうまく使って必要な情報を取得し、さらに情報技術を活用して日常の問題解決に役立てていく“情報活用能力”の習得が大切だと考えられています。その能力をもった人間こそ、金大中・元大統領が語っていた「世界で最もコンピュータを上手に使いこなせる国民」であり、そうした人材を育成するためにさまざまな施策が導入されています。
最近、日本では貧富の差の拡大に伴う「教育格差」が問題になっていますが、それは韓国も同じです。実際には、韓国のほうが深刻かもしれません。貧しい家庭に生まれた子供が大学に進学することは難しく、そういう子供はたとえ才能があっても就職では不利になります。こうした状況を受けて韓国政府は、収入の多寡による教育格差を是正するために、EBS(エデュケーション・ブロードキャスティング・システム)の提供を開始しました。これはNHKの教育放送と同じような性格をもった放送で、韓国内の高名な先生方の授業をすべて録画し、インターネットで全土に番組を流しています。現在、1日に平均で約10万人の学生がこのEBSを使って勉強していると言われています。韓国では、情報教育は「国の活力を高める手段」と考えられていますから、このように中央政府が情報教育の充実を強力に推進しているのです。
とはいえ、ITやインターネットの普及によってさまざまな問題も噴出しています。日本では「ネットカフェ難民」という言葉が生まれて問題視されていますが、韓国でもネットカフェでゲームやインターネットをやりすぎてパソコンの前で死んでしまう『インターネット中毒』の子供たちの存在がクローズアップされ、大きく話題になったことがあります。また、アダルトサイトなどの有害サイトからどうやって子供たちを守っていくかということも課題の一つに挙げられています。
そうした数々の課題に対処するため、韓国政府はさまざまな対策を打っています。その一つに『成人認証制』というものがあります。これは、ウェブサイトを閲覧する際に生年月日や住民番号の入力を求める仕組みです。こうしたシステムを導入することで、19歳未満の子供たちを有害なサイトから守ろうとしています。しかし、拡大の一途を辿るインターネットをすべて規制するのは不可能ですし、インターネットにはメリットもたくさんあります。ですから、私自身は規制を第一に考えるのではなくて、子供たちにインターネットの使い方をきちんと教え、さらにマナーやモラル、セキュリティについてしっかり教育していくことが、より重要だと考えています。そのためにも学校での情報教育を体系化し、これまで以上に充実させていくことが必要でしょう。
いずれにせよ世の中を変えるのは人間であり、その人間を変える手段は教育以外に考えられません。人間教育が重要なことは言うまでもありませんが、情報活用能力が不可欠となる21世紀の経済社会においては、情報教育を徹底して実施していくことが求められていると思います。
最後に余談になりますが、2カ月ほど前に韓国に帰ったときに興味深い話を耳にしましたのでご報告します。現在、韓国では小学校にある「壁」をすべて取り除く運動が進められていて、壁を取り除くことによって近隣住民との接点を増やし、子供たちと大人たちが交流する機会を増やしていこうとしているそうです。日本では、子供に対する犯罪が多発して問題になっていますが、それは韓国でも同じです。そうした状況を受け、子供たちを大人から引き離すのではなく、逆にたくさんの大人たちと触れ合う機会を設けることで大人を見る目を養い、不審者を見極める能力を身につけさせようというのが狙いのようです。いわゆる「逆転の発想」ですが、この考え方はITやインターネットの世界でも参考にできる部分があるのではないかと思いました。これで本日の講演を終了します。ありがとうございました。